学生気分のススメ

 「学生気分」という言葉は、良い意味でも悪い意味でも使われる。「いつまで学生気分でいるんだ」「学生気分が抜けない」などといえば、社会人としての自覚が足りないという意味だ。しかし「久しぶりに学生気分を味わった」「学生気分に戻れた」となれば、肯定的な意味合いを持つ。
 意味は正反対だが、どちらも学生が無責任であるところがポイントだ。社会人が無責任では確かに困る。しかし責任を問われる心配なしに自由に言葉を交わす時間は、大人にとっても楽しい。

 私は職業人生のほとんどをフリーランスとして過ごし、ずっと学生気分のまま、とうとう還暦を過ぎてしまった。社会的な成功には程遠く、経済的にも大いに厳しい。しかし毎日がそれなりに楽しいのは、学生気分のまま年老いたし、学生気分のまま死にたいと思っているからだ。
 学生は無責任だ。少なくとも責任が軽い。しかし社会人として仕事や子育てに責任を負ってきた人たちも、やがてはそれらの責任から解放されていく。つまり学生に近くなる。
 それならばいっそ開き直って、残りの人生を学生気分で生きるというのはどうだろう。少なくとも私はそうありたい。
 仕事や子育てから、完全にリタイアしていなくても良い。何だったら、まだ若くても良い。みんなが学生気分で生きたら、この国はもう少し明るく、息がしやすくなる気がする。いわば「学生気分のススメ」である。

 学生気分で生きると決めたからには、無責任を満喫するだけではいけない。学生の本分は勉強である。だから勉強はしよう。
 これがまた面白い。人によっては、無責任より楽しいはずだ。
 勉強で大切な事は3つある。1つ目はアウトプット、出力だ。とにかく何かを書く。発表したり教えたりする機会があれば、さらに良い。
 2つ目は仲間だ。共に学ぶ仲間ほどありがたいものはない。お互いに教え合ったり、1円にもならないことを論じあったりする。これほど愉快なことがあるだろうか。そうした関係が、深い友情や恋愛に発展しないとも限らない。
 3つ目は楽しむことだ。もしかしたら学生時代は、苦しい勉強もしたかもしれない。しかしもうその必要はない。楽しくない勉強は、たとえ途中でもやめよう。読み始めた本も最後まで読まなくていい。自分が楽しくて、やめられない勉強だけを続けるのだ。

 脳トレもいいだろう。グラウンドゴルフも悪くない。「終活」も結構だ。しかし私としては、学生気分で生きることをお勧めしたい。
 本を読もう。インターネットで調べよう。そして読んだことや、調べたことを文章にまとめよう。それを誰かに読んでもらおう。インターネットで発表しよう。
 仲間を見つけよう。お互いに学び合おう。そして何よりも、楽しもう。
 私は勉強は楽しいと思う。知らなかったことを知ったり、分からなかったことが分かるようになったりすれば、それはもちろん面白い。
 しかし私はそれ以上に、学ぶことそのものの中に、人にとって本質的な喜びがあるような気がしてならない。勉強をすることで自分が世界と、そして歴史とつながっているように思えてくるのだ。
 こうした空間的な広がり、時間的な広がりを体感し、実感できるのが学びの最大の喜びだ。それは自分という個人の生や死を越えた、広がりを獲得するということではないだろうか。

 現実には老眼が進んで新聞を読むのも大変だし、30分も本を読んでいると目が痛くてたまらない。パソコンに向かって、ずっと同じ姿勢でいると腰が痛くなる。図書館に返さなければならない本があるのに、それすら億劫になることさえある。
 それでも私は残りの人生を、やはり学生気分で生きたいと願っている。