21世紀の林竹二

 後期の授業が始まった。ワークショップ系の授業は特に楽しい(疲れるけど)。
 「絵本製作」の1回目で学生に書いてもらった感想に、「あまり今まで受けたことのない感じの授業だったので新鮮で面白かったです。」とあった。ありがたいことだ。
 「他の授業と違う」「変わった授業」という感想はよくもらう。
 大学の授業はいろいろだが、担当者が自分が大学で受けた授業を参考にすることが多いだろう。
 私もご多分に漏れない。宮城教育大学でワークショップ型の「変わった授業」をたくさん受けた経験が、今役に立っている。

 推薦入試で斎太郎節(さいたらぶし)を踊った(落ちた)。体育の授業に「山野歩走」という大学周辺の山を駆け巡る種目があった。3・4年生で選んだゼミは午後3時から9時まで続く「終バス演習」だった。
 大学は楽しかった。自分が担当する授業でも、ぜひ学生に楽しんでもらいたいと思っている。

 自分の経験を含むエピソードを集めて『教育の冒険 林竹二(はやし たけじ)と宮城教育大学の1970年代』という本を書いた。出版した2003年と、10年後の2013年の2回、大学の同窓会総会に呼ばれて講演をした。恩師や、学校の管理職となった同窓生たちの集まりで、講師の自分はフリーライター。場違い感に溢れていた。

 改革に熱心だった大学と、その礎を築いた学長・林竹二のことを、一般の人に知ってもらいたくて本を書いた。しかし時代は変わる。広く共感を得ることも、後世に伝えることも難しいだろうと、実は思っていた。
 ところが最近ネットで林竹二を検索してみて、その後もちゃんと注目されていることを知った。

◇「林竹二の学問観 と宮教大の教員養成教育改革」遠藤 孝夫
『弘前大学教育学部紀要』第95号 :13-124(2006年3月)
https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2297&item_no=1&page_id=13&block_id=21

◇大谷大学 教員エッセイ きょうのことば [2011年04月]
「学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである。」
 林 竹二(『学ぶということ』国土社 95頁)
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000001d7vo.html

◇京都大学大学院 修士論文「林竹二の授業論の検討」松本匡平
『教育方法の探求』 (2016), 19: 31-38
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/226083/1/hte_019_31.pdf

◇科学研究費助成事業
「林竹二の授業実践に関する研究-実践記録、資料に基づいて-」(2019年)
研究代表者:松本 匡平 ヴィアトール学園洛星中学校高等学校, 教諭
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19H00047/
研究成果報告書
https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-19H00047/19H00047_2019_seika.pdf

 最後のものは「教育学者林竹二(1906-1985)が残した膨大な授業実践記録とそれに付随する資料を画像として総計12万枚以上をデータ化した」(研究成果の概要)という、すさまじい研究だ。林の遺族から宮城教育大学に提供されて保存されていた紙の資料を全てスキャンしたそうで、大学のスタッフに加えて「のべ21名の大学生に助力を頂いた」とのこと。
 21世紀も、林竹二の仕事が忘れ去られることはなさそうだ。私はそのことを、ひそかに喜んでいる。

大学生のための文章講座 02

現代社会学科1年前期「現代文章表現」まとめ《後半》

「何を書くか」の次は「どう書くか」です。
「どう書くか」、つまり表現については、とにかく「読みやすく分かりやすく」書きましょうと、繰り返し言ってきました。
それでは、どう書けば「読みやすく」なるのか。これもたくさんありますが、まずは3つ、でしたね。

①文を短く
②「です・ます」と「だ・である」を混ぜない
③書き言葉で

①は「短ければ短いほど良い」とまでは言えませんし、「何文字まで」とも言えません。しかしとにかく皆さんの書く文には、長くて読みにくいものが多いのです。指定が200字だと、一つの文になってしまう人までいます。もちろん、表現の技術としての長い文はあり得ます。しかし皆さんの場合、自分でもよく分かっていないことや、整理がついていないことを書いたために長くなってしまったという場合がほとんどです。まずは内容を整理して、文を短く刻みましょう。

②文末を「です・ます」などで終えるのが敬体、「だ・である」などで終えるのが常体ですね。指定されない限りどちらを使っても良いのですが、この授業では必ず統一してください。これも表現の技術として混ぜることがあり得ます。しかし皆さんの書く文章では、何となく混ぜてしまったために、読みにくくなっているものがほとんどです。作文の苦手な人は、敬体と常体のうち、そのたびごとに自分が書きやすい方の文末で書いてしまいがちです。書く方は楽ですが、読む方は読みにくいのです。作文の苦手な人には、どちらかと言えば敬体をお勧めします。話す表現に近いので、書きやすいと思います。

③は「書き言葉で」です。「話し言葉」は変化が速く「書き言葉」は変化が遅いという特徴があります。皆さんが書く文章を読む人は、同世代ではなく70歳代かもしれません。昔からある言葉や、社会に定着している言葉を使った方が、幅広い年代の読み手に伝わる可能性が高くなります。まずは、いわゆる若者言葉や流行語を避けてください。確かに最近は新聞でも、「ため口」などが説明なしに使われることがあります。便利だし言い換えが難しいのですが、頑張って表現を工夫してください。また流行語は、定着する可能性より消え去って意味不明になる可能性の方が高いので危険です。二つ目は「ら抜き言葉」を使わないことです。「ら抜き言葉」は会話では定着しつつありますし、文法的に間違っていると言うこともできません。しかしまだ、大学のレポート、就活の作文、ビジネス文書など、正規の文章では違和感を覚える人が多数派です。「来れる」「食べれる」ではなく「来られる」「食べられる」と書いてください。三つ目は敬語と人の呼び方です。私の「お母さん」ではなく「母」、バイト先の「おばちゃん」ではなく「女性従業員」、ボランティア活動で出会った「おじいさん」ではなく「高齢男性」、などです。会話の記述など、それぞれ前者が許容される場合はあります。しかし基本的には後者を心がけてください。

「読みやすく」については、まずは以上の3つを守りましょう。

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次は「分かりやすく」です。
どう書けば読み手は「わかる」のかを、この言葉に即して説明します。

まず目指すべきは「解る」です。分解の解という字を書いて「わかる」と読みますね。
相手が初めて触れる情報は、伝えるべき内容を整理し、相手が知っているレベルの情報にまで分解し、それを組み立てて伝える必要があります。

「語彙」という漢字を知らない人に、電話で解ってもらう場合を考えてみます。
「語」は「国語の語、語るの語」で分かってもらえるでしょう。しかしあえてパーツに分解すれば、へんとつくりになります。「ごんべん+われ」で伝わらなくても、「左は言う、という漢字で、右は漢数字の五の下に口」と言えば間違いありません。
しかし「彙」は強敵です。真ん中の「ワかんむり」と下の「結果の果、果実の果」は大丈夫でしょうが、一番上はおそらく相手が見たこともないパーツです。これは「お互いの互という漢字から、上の横棒を取ったもの」と伝えるしかありません。電話の向こうの相手が実際に書いてみて、理解してくれることを祈りましょう。
伝えたい内容を、一度分解して組み立てて見せるように説明すると、「解りやすい」と思ってもらえるはずです。

次は「分かる」。私は基本的に、この表記を使っています。
分かるとは、分けられる、つまり区別がつく、ということです。
相手が「解る」ようにと、その内容をいろいろ言い換えてみることは、もちろん有効です。辞書の説明がそうですね。
しかし「今まではこうでしたが、これからはこうです」とか、「日本ではこうですが、その国ではこうです」のように、対比させて説明した方が伝わることが多いのです。
くどくどと説明を連ねるより、同じ字数を使うなら、「AでもBでもなくて、Cなのです」という説明の仕方を試みましょう。

最後が「納得」です。
私たちが本当に「わかった」と思うのは、「なるほど」と感じたときです。
日本語には「腑に落ちる」「胸に落ちる」「腹に落ちる」という良い表現があります。最近の言葉で言えば「ハラオチ」ですが、作文では使わないでくださいね。「説明がのみこめない」「その条件ならのめる」という表現もあります。つまり人間は、実は頭ではなく体で「わかる」のです。
コミュニケーションを目的とする文章のゴールは、読み手に「解ってもらう」ことでも「分かってもらう」ことでもありません。「納得してもらう」ことなのです。
そうした文章を書くには、自分自身が文章を読んで納得した経験が手がかりになります。どのように説明してあるのかをしっかりと理解し(解る)、他の説明の仕方と区別し比較した上で(分かる)、その文章に学びましょう。
「どうすれば良い文章が書けるようになりますか」という質問に対する私の答えは決まっています。「良い文章を、できるだけたくさん、気をつけて読んでください」です。

「分かりやすく」の説明は以上です。

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14回のうち前半7回のテーマは「コミュニケーション能力としての文章力」でした。後半の7回は、これに「考える力としての文章力」が加わりました。

私たちは普段、ものを考えていません。ほぼ習慣や欲求に従って体を動かしています。それで済みますし、頭の省エネになるからです。
しかし文章を書くときは、考えないわけにはいきません。ラインに「りょ」とか「それな」と返すだけなら考えずに済みますが、単位がかかったレポートや記述式の試験の答案を書くときは、それでは済まないのです。

考えずに書くと、感じたことや思ったことをそのまま書いてしまいます。小学校で書いた読書感想文や遠足の思い出は、それで良かったのです。大学入試の小論文に、「高校では部活を頑張って、継続することと仲間と協力することの大切さを学びました。この経験を生かして大学でも勉強を頑張ります」と書いた人もいるでしょう。それで通ったのですから、それで良かったのです。
しかし大学の授業では、これでは通用しません。文章の途中には感じたことや思ったことを書いても良いのですが、まとめには必ず「自分の頭で考えたこと」を書かなければならないのです。

第8回ではその実例として、大学の先生が「経験に基づいて考えたこと」を書いた文章を読んでもらって、それを要約してもらいました。
そして第9回からは、毎回「経験に基づいて考えを書く」練習をしてもらいました。
自分の経験を書かずに済ませたり、感じたことや思ったことをまとめに書いた作文をたくさん読みました。この授業では出来不出来で点数はつけませんが、毎回赤ペンで指摘しました。その結果、ほとんどの人が考えることの大切さを理解し、文章力が向上したはずです。

あなたが感じたり思ったりすることは、もちろん悪くありません。感受性が豊かであることや、自分はこう思うと主張することは、とても素晴らしいことです。しかし読み手の納得を求めて作文を書かなければならない時、自分の感覚や思いを押し付けて済まそうとするのは、ただの独りよがりです。
「自分の考え」は、自分とは違う立場や考えの人が読むことを想定し、その人の反論や違和感に対する答えを含む必要があります。そのためには自分の感覚や思いを客観視し、自分の考えを相対化した上で、文章にする技術を身につけなれければならないのです。

大学生はレポートや記述式の答案で、「事実に基づいて意見を書く」必要があります。これは社会人になっても変わりません。
そのための練習として、この授業では少ない文字数と短い時間で、「経験に基づいて考えを書く」練習を繰り返してもらいました。
基本は身についたはずです。
他の授業や後期以降の授業で、やがては就活や仕事で、その技術が皆さんの役に立つことを願っています。

以上でまとめを終わります。
お疲れさまでした。

大学生のための文章講座 01

現代社会学科1年前期「現代文章表現」まとめ《前半》

それでは最終回の授業を始めましょう。
現代社会学科1年前期、「現代文章表現」のまとめです(経営法学科・看護学科・リハビリテーション学科は「現代国語表現」)。

この授業では皆さんに、「大学で単位を取るための作文の書き方」を学んでいただきました。主に作文が下手な人、文章力がない人のためのトレーニングです。
授業では毎回、実際に作文を書いていただきました。
そして「誤字脱字があろうが文章が変だろうが、作文の出来不出来では評価しません。授業終了後にテストをしたり、レポートの提出を求めたりもしません。その回ごとの条件を守って、自分なりに頑張って作文を書いてもらえれば単位を出します。欠席2回までなら最高評価をつけますよ」と言い続けてきました。

これも最初に申し上げた通り、ターゲットはこの授業を受けている人の中で、一番作文が下手な人、文章力がない人でした。
あなたにもぜひこの大学を4年間で卒業して、第一希望のところに就職してほしい。1年分余計に学費を払うことになったり、不本意な就職をして結局やめてしまうようなことになってほしくありません。
そう思って授業をしてきました。

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小・中・高の次は大学、というつもりで入学した人もいるかもしれません。しかし大学での勉強は、高校までと全く違います。
①まず、文章を書けないと単位が取れず、永遠に卒業できません。
②次に大学の先生はプロの研究者で、その立場からあなたの文章を評価します。
③最後に、文章力がないと就職活動で勝ち目がありません。

①高校までと違って大学では、教科書や授業の内容を覚えるだけでは評価されません。レポートや記述式の試験があって、絶対に文章を書かなければならないのです。授業によっては、単語を答えたり、選択肢の中から選んだりする試験もあるかもしれません。しかしそれだけでは卒業できないのです。
あなたがいくらやる気があっても専門分野の知識や技術があっても、作文が下手だというだけで単位が取れません。しかし別に、読んだ人を感動させたり感心させたりする文章を書く必要はないのです。あなたの知っている情報やあなたの考えが、読む人にちゃんと伝われば大丈夫です。そしてそうした文章力は、練習で身につけることができます。それがこの授業です。
大学での授業に加えて、看護学科やリハビリテーション学科の皆さんは実習に行きます。すると毎日実習日誌を書き、実習先の病院の指導担当者がチェックします。それをクリアしないと実習の単位が出ません。
皆さんがいくら「自分なりに頑張って書いた」と言っても通りません。「何が書いてあるのか分からない」とか「何を言いたいのか分からない」と思われた場合、書き直しや再提出を命じられるのならまだ良い方で、いきなり単位を落とすことがあるのが大学なのです。

②小中高は教育機関ですが、大学は研究機関で教育機関です。小中高の先生が集まる部屋は職員室ですが、大学では職員というのは、学生課や教務課の事務職員の方を言います。大学の先生は全員研究者なので、それぞれの研究室(この大学では教員研究室)にいます。
研究機関は大学以外に、国や企業にもたくさんありますが、そこでは授業はしていません。そして教育機関としての大学は、日本では「研究者が研究者を育てる場」として始まりました。有利な就職、専門的な資格、同じ若い世代が集まる楽しさを求めて入学する人が増えた今も、その基本は変わっていません。
大学で授業をするのに資格はいりません。小中高は教員免許が必要ですし、授業の内容は文部科学省の定めた学習指導要領で枠が決められています。教科書は検定を通らないと使えません。
しかし大学では、極端に言えばどんな授業をしても構いません。その授業を担当した先生一人に任されているのです。もちろんあなたたち学生の評価も。
大学が違って担当している先生が違えば、同じ授業名でも全く違う内容、全く違う評価方法になります。教科書があれば教科書も別々で、何の本を教科書に指定しても構いません。なぜこうなっているかと言うと、「研究者が研究者を育てる」ためには、こうした方法が最も優れているということが歴史的に証明されているからです。
それでは大学の先生は、試験も資格もなしにどうやって大学の先生になったのかというと、研究者の集まりである学会で研究が認められたからです。大学の先生は、実は大学と学会の両方に所属しています。お給料は大学からもらっていますが、学会にはお金を払って参加します。研究者としての先生は、自分の研究成果を学会の集まりで発表したり、専門の研究雑誌に論文として発表するのが仕事です。そうやってお互いに評価し合い、競い合い、バトルを勝ち抜いて研究者になるのです。そうして日本の、世界の、学問・科学の発展に貢献しています。
趣味でスポーツをするのと、プロのアスリートであり続けることは全く違います。大学の先生はプロの研究者です。そして自分が上の世代の研究者から育てられたように、自分の研究領域で後継者となる若手を育てたいと願っています。それが大学教育の基本です。
皆さんの書くレポートや記述式の答案を読んで評価するのは、そういう人たちです。厳しくて当然です。高校までは先生が、あなたのことをよく知っていました。顔が思い浮かびましたし、「この子は部活を頑張っていて偉いんだよな」と思いながら、あなたの作文を読んでいました。しかし大学の先生にとっては、あなたの書いた文章が全てです。これは医療系の学科でも全く変わりません。

③就職活動で、皆さんは必ず履歴書を書きます。書式はいろいろですが、「志望動機」は必ずあります。そして先方の採用担当者は、そこをしっかり読みます。
医療系以外の人は、応募する時にエントリーシートを書きます。「自己PR」とか「学生生活で力を入れたこと」などです。先方の採用担当者は、内容だけでなく文章もチェックします。
公務員を目指している人は、筆記試験に作文があります。そして実は医療系と福祉系も、多くの場合は筆記試験で作文を書くことになります。「就活はまだ先だから、その時になったら練習しよう」では、おそらくほとんどの人は間に合いません。
学科・専攻によっては、就活が本格化する直前に作文講座があるかもしれません。しかし無いかもしれません。ぜひこの授業で基本的な文章力を身につけて、第一志望のところに就職してください。

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こうしたことを、授業の中で繰り返し話してきました。しかし中には、「とにかくこの授業の単位が取れればそれでいい」という人もいるでしょう。そうした人にも文章の腕を上げてほしいと思って、私なりにいろいろと工夫したつもりです。
まず14回のうち前半の7回は、「コミュニケーション能力としての文章力」にテーマを絞りました。

皆さんは「コミュニケーション能力」という言葉を、この授業以外でも何度も耳にしたでしょう。大学で学ぶ上でも、仕事をするためにも、とても大切だとされています。
しかしこの言葉は便利な一方で、人によってさまざまな意味で使われる、やっかいな言葉なのです。

①話す力・聞く力・書く力・読む力:つまり「言葉を使いこなす力」です。
②説明能力:自分が理解できるだけでなく、相手の知識や理解力に合わせて説明する力です。
③他人と力をあわせる力:チームで作業や仕事をする上で絶対に必要な力です。
④想像力:相手の立場になって感じたり考えたりする力です。

などなど、「コミュニケーション能力」という言葉は、この他にもたくさんの意味で使われます。英語をはじめとする外国語の能力や、ICT能力を指すこともあります。就職活動で皆さんが求められる「コミュニケーション能力」は、これら全てを含んでいるのです。

しかしこの授業では、シンプルに「伝える力」としました。
読み手に伝われば「良い文章」で、伝わらなければ「ダメな文章」というわけです。
そのため前半の7回は、説明文と報告文の練習をしました。「自分は知っていること・自分が体験したこと」だけど、「読み手は知らないこと」を伝える練習です。
第1回は1つ、第2回はもう1つ加えて2つ、と毎回条件を増やしながら作文を書くことで、文章で伝えることの難しさと楽しさを味わってもらうことが主な目的でした。
最終的に、条件は7つになりました。

①指定字数と制限時間を守って、
②読み手を意識して、
③具体例を挙げて、
④5W1Hに気をつけて、
⑤エピソードを選んで、
⑥まとめを工夫して、
⑦考えを書く。

作文は「何を書くか」と「どう書くか」の掛け算です。どちらかが0点だと、評価は0点です。
皆さんはこの授業に、「どう書くか」というテクニックを期待したかもしれません。しかし私がたびたび強調したのは、「何を書くか」の大切さでした。
「何を書くか」を内容、「どう書くか」を表現と言い換えれば、大学で単位を取ったり就職活動をするのに、表現力はそれほど求められていません。文章の上手さよりも、充実した内容が求められているのです。

従って、思いついたことを思いついた順番に書いてはいけません。あなたが天才でない限り、必ず失敗します。つまり伝わりません。
あなたは「自分では分かっている」し、「書きたくて書くわけではない」でしょう。しかし一方の読み手は、「あなたの頭の中身なんか何も知らない」し、「読みたくて読むわけではない」のです。
面倒でも、最初に書く内容を考える時間を取って、キーワードだけでも良いのでメモを作り、書く順番やまとめを決めてから書き始めましょう。

そしてこれまた面倒でしょうが、必ず見直して修正しましょう。
私は仕事で文章を書いているので、締め切りの前日には必ず完成させます。書き終えた直後は興奮しているし解放感もあるので、間違いなく目が曇っています。
一晩寝てから読み直すと、誤字脱字はあるし独りよがりな表現はあるしで、自分が嫌になります。しかしこの作業から逃れることはできません。

もしもあなたが何か文章を読んで「分かった」と思ったならば、それはその文章を書いた人が頑張ったからです。あなたも頑張ってください。誰よりもまず、あなた自身のために。
「何を書くか」の説明は、以上です。

学生気分のススメ

 「学生気分」という言葉は、良い意味でも悪い意味でも使われる。「いつまで学生気分でいるんだ」「学生気分が抜けない」などといえば、社会人としての自覚が足りないという意味だ。しかし「久しぶりに学生気分を味わった」「学生気分に戻れた」となれば、肯定的な意味合いを持つ。
 意味は正反対だが、どちらも学生が無責任であるところがポイントだ。社会人が無責任では確かに困る。しかし責任を問われる心配なしに自由に言葉を交わす時間は、大人にとっても楽しい。

 私は職業人生のほとんどをフリーランスとして過ごし、ずっと学生気分のまま、とうとう還暦を過ぎてしまった。社会的な成功には程遠く、経済的にも大いに厳しい。しかし毎日がそれなりに楽しいのは、学生気分のまま年老いたし、学生気分のまま死にたいと思っているからだ。
 学生は無責任だ。少なくとも責任が軽い。しかし社会人として仕事や子育てに責任を負ってきた人たちも、やがてはそれらの責任から解放されていく。つまり学生に近くなる。
 それならばいっそ開き直って、残りの人生を学生気分で生きるというのはどうだろう。少なくとも私はそうありたい。
 仕事や子育てから、完全にリタイアしていなくても良い。何だったら、まだ若くても良い。みんなが学生気分で生きたら、この国はもう少し明るく、息がしやすくなる気がする。いわば「学生気分のススメ」である。

 学生気分で生きると決めたからには、無責任を満喫するだけではいけない。学生の本分は勉強である。だから勉強はしよう。
 これがまた面白い。人によっては、無責任より楽しいはずだ。
 勉強で大切な事は3つある。1つ目はアウトプット、出力だ。とにかく何かを書く。発表したり教えたりする機会があれば、さらに良い。
 2つ目は仲間だ。共に学ぶ仲間ほどありがたいものはない。お互いに教え合ったり、1円にもならないことを論じあったりする。これほど愉快なことがあるだろうか。そうした関係が、深い友情や恋愛に発展しないとも限らない。
 3つ目は楽しむことだ。もしかしたら学生時代は、苦しい勉強もしたかもしれない。しかしもうその必要はない。楽しくない勉強は、たとえ途中でもやめよう。読み始めた本も最後まで読まなくていい。自分が楽しくて、やめられない勉強だけを続けるのだ。

 脳トレもいいだろう。グラウンドゴルフも悪くない。「終活」も結構だ。しかし私としては、学生気分で生きることをお勧めしたい。
 本を読もう。インターネットで調べよう。そして読んだことや、調べたことを文章にまとめよう。それを誰かに読んでもらおう。インターネットで発表しよう。
 仲間を見つけよう。お互いに学び合おう。そして何よりも、楽しもう。
 私は勉強は楽しいと思う。知らなかったことを知ったり、分からなかったことが分かるようになったりすれば、それはもちろん面白い。
 しかし私はそれ以上に、学ぶことそのものの中に、人にとって本質的な喜びがあるような気がしてならない。勉強をすることで自分が世界と、そして歴史とつながっているように思えてくるのだ。
 こうした空間的な広がり、時間的な広がりを体感し、実感できるのが学びの最大の喜びだ。それは自分という個人の生や死を越えた、広がりを獲得するということではないだろうか。

 現実には老眼が進んで新聞を読むのも大変だし、30分も本を読んでいると目が痛くてたまらない。パソコンに向かって、ずっと同じ姿勢でいると腰が痛くなる。図書館に返さなければならない本があるのに、それすら億劫になることさえある。
 それでも私は残りの人生を、やはり学生気分で生きたいと願っている。

林竹二と宮城教育大学の1970年代

プロローグ

 東北地方の一〇〇万人都市、宮城県仙台市の市街地は、海岸線からかなり入った所にその中心を持っている。JR東北本線を地図で辿れば、仙台駅の辺りで大きく西寄りに迂回していることがはっきりと分かるだろう。これは、関ヶ原の戦いによって天下の趨勢が決したにもかかわらず、伊達政宗《だてまさむね》が平地ではなく山上に城を築き、そのふもとに城下町を開いたためだ。
 仙台駅の西口を出ると、目の前には幅五十メートルの大通りがまっすぐに延びている。しかし初めて仙台を訪れた人は、その先わずか二キロのところまで迫る小高い山の連なりに気づくと、立ち並ぶ高層ビルとのコントラストにあらためて目を奪われるはずだ。
 仙台城のあった標高一四〇メートルほどの山に限らず、そこから北西へと連なる山並一帯は、この地では「青葉山」と呼ばれている。そして教育学部だけの国立単科大学、宮城教育大学は、そのほぼ中心部にある。
 一九七九(昭和五四)年一月二十五日、土曜日の朝。宮城教育大学の上には、仙台特有の澄みきった冬の青空が広がっていた。

 二号館と呼ばれる建物の、学内でもっとも大きな階段教室の真ん中近くの席で、学生服を着た小太りの男子高校生Kが、ひどく落ち着かないようすで自分のカバンの中をまさぐっていた。これから入学試験が始まるというのに、あろうことか筆入れが見当たらないのだ。
 しまいには鞄の中身をすべて出して机の上に広げてみた。しかし無駄だった。
 Kは几帳面を通り越して、どちらかと言えば神経質な性格だった。おそらく昨夜、持ち物を確かめるために中身を何度もカバンに出し入れしたあげく、かんじんの筆入れを机の上に置き忘れてきたのだろう。Kは中身を再び鞄に詰め直すと、目をつぶって大きく息を吐いた。
 気を落ち着けようとして、Kは教室を見渡した。しかし居心地の悪さを覚えただけだった。
 そこにはKを含めて一六三人の受験生がいたが、その七割がたは女子が占めていた。仙台市内の男子校で三年間を過ごしたKにとっては、女子校の教室に紛れ込んでしまったような奇妙な感覚だった。
 今日は推薦入学のための本試験だった。Kは「推薦二次で行う表現力テストは準備不要、受験勉強は無意味」という大学の説明を真に受けていた。だからこのなかに、前年までの試験内容を調べて、今日のために踊りや太鼓の練習をしてきた受験生が含まれているとは夢にも思っていなかった。
 大学側による説明が始まり、小さな紙片が配られた。今日の表現力テストには踊りと朗読の「身体表現」と、絵画と作文の「造型表現」の二つがあるが、どちらか好きな方を選べというのだ。午前中が試験で、午後がグループ面接という予定だった。
 さっきからのKのようすを見かねたのだろう。隣の席の男子受験生が「きみ鉛筆忘れたんじゃろ。貸そうか」と言った。Kは感謝して、借りた鉛筆で「身体表現」に丸をつけると鉛筆を返した。
「ありがとう。おれ仙台。君はどっから?」
「イズミ」
 泉?
 泉市は仙台のすぐ北隣の町だったが(一九八八年に仙台市に合併・現在の仙台市泉区)、その受験生の言葉はあきらかに西日本のものだった。
「どこのイズミ?」
「鹿児島県」
 そうか鹿児島県の出水市か、とKは思った。
 このときKはまだ知らなかったが、宮城教育大学は宮城県の教員を計画的に供給するためにつくられた大学でありながら、日本中から学生があつまる「全国区の大学」だった。四年前まで学長を務めていた林竹二の時代にすすめられた大学改革が、マスコミで繰り返し大きく取り上げられたためだった。
 これから受ける独特の推薦入学試験も、その改革によるものだった。ユニークな表現力テストを行なっていたため、あたかも大学入試シーズンの風物詩のように、テレビの全国ニュースが、毎年そのようすを報じていた。
「きみはどっちを受けるんじゃ」
「身体表現」
「そうか、おれは造型表現じゃ」
 ちょっと間をおいて、隣の受験生は言った。
「きみ、もしかして造型表現を受けたいんじゃないか。鉛筆なら一日貸すぞ」
「いや、いいんだ。ありがとう」
 できたばかりの友人に、Kは嘘をついた。
 小さな頃から、運動と名のつくものはいっさい苦手だった。リズム感もなく、学校の科目に体育と音楽がなければなあと思いながら、この十二年間学校生活を送ってきたのだ。だからこの、自分の人生を左右するかもしれない場面で、鉛筆を忘れたからといって身体表現を選ぼうというのは明らかに無謀だった。
 しかしKは、一年ほど前から「正しいことと面白いことがあったら面白いことの方を選ぼう」と決めていた。「鉛筆を忘れたから大学入試で踊りを踊った」というのは、何年経っても楽しい思い出になりそうだった。そして詳しくは後に述べるが、Kには「どうせ最後には宮城教育大学は自分を合格させる」という確信があった。
 Kは「身体表現」を選んだ他の受験生たちといっしょに、大学の体育館へと移動した。

 試験会場には何人かの教官が待ち受けていたが、中森孜郎《なかもりしろう》と名乗る五十がらみの、体格のしっかりした、眠そうな二重まぶたをもつ教授が代表して話し始めた。
「今日の試験は、皆さんが、何ができるかを見るものではありません。皆さんの学ぶ力を見せていただきます」
 Kは思った。
「学ぶ力? そんなものは試験じゃ測れないぞ。だいたいそれじゃ、落ちた人間には学ぶ力がないっていうことかい」
 もちろん口には出さなかった。
 試験は準備運動、踊り、詩の朗読、の順番で行われると説明された。「身体表現」なのに詩の朗読があるというのがKには謎だった。しかしとにかく、他の受験生と二人ひと組になって指示通りに準備運動を始めた。
 それは彼が知っている、ラジオ体操やそのバリエーションのような準備運動とはまるで違っていた。一言でいえば、力を入れることよりも力を抜くことに重点をおいた体操だったのだ。
 パートナーと背中合わせになって肘を組み合い、前屈して相手を背中に乗せる運動では、上になった人間が力を抜いて体を伸ばしきることが求められた。あちこちからうめき声があがった。それは自分の体のあまりの固さにとまどった受験生たちの、半ば笑いを含んだものだった。やや騒然となりながらも、試験会場の張り詰めた空気がゆるんだ。
 Kもそれを楽しんでいた。そこに教官の一人がにこやかに近づいてきて、足の位置についてアドバイスをした。ところがKは、返事をするどころか「よけいなお世話だ」という目でにらみつけてしまった。面白くて、試験中だということをすっかり忘れていたのだ。「しまった」と思ったが、もう遅かった。
 受験生は皆、大きく番号の入ったゼッケンをつけさせられていた。その教官は憮然とした表情で、採点表になにごとかを書き込むと去っていってしまった。
 しかしKは思っていた。
「だいじょうぶだ。おれは受かる」
 踊りの課題が、いわゆるふつうのダンスではなく民謡の斎太郎節《さいたらぶし》だったこともKを驚かせた。ラジカセの音が体育館に響き渡り、手本として中森教授が力強く踊り始めた。

 松島の サーヨー 瑞厳寺ほどの
 寺もない トエー
 アレワエーエエー エイト
 ソーォリャー大漁だァエー

 Kは大学教授というものを間近で見たのは生まれて初めてだったが、それが額に汗を浮かべて懸命に斎太郎節を踊っている姿に、すっかり度胆を抜かれてしまった。
 大学に入るのに、なぜ民謡を踊らなければならないのか。
 などと考えている場合ではなかった。とにかく教えられたふりつけを頭の中で分解して、手足をその通りに動かしてみた。
 櫓《ろ》をこぐしぐさをしながら、少しずつ歩を進めていく…。
 しかし中森教授の手本とはまるで違って、ぎくしゃくしたものにしかなっていないことは自分でよく分かった。
 あせったKは、しばしば練習を中断して周囲の受験生を見回してみた。みんな苦労しているようだった。「これで本当に差がつくのか」と思ったが、それ以上のことを考えている余裕はなかった。今は自分の動きを踊りに見せかけることに精一杯だった。
 練習の結果、動きをいくら足し算しても、それは踊りにはならないのだということが納得された。しかしそんなことが分かっても、いまは何の役にも立たなかった。Kはロボットのように踊って試験を終えた。一人ずつではなく、数人ずつが列をつくって踊ったことだけが救いだった。
 Kはさすがにだんだん自信を失ってきた。
 最後の詩の朗読は、体を動かすことに比べれば、よっぽど気が楽だった。課題の詩も、田舎の学校に春がきた、というようなのどかなものだった。これなら元気よく明るくさえ読んでおけば、合格点には達するだろう。
 ただその詩の最後の一行が、「先生、つばめが来ました!」という生徒のセリフになっていることが、Kには気になった。これを試験教官に向かって、身ぶりをつけて叫べばアピールできるのではないかと、一瞬考えてしまったのだ。
 しかしすぐに、そんなことを考えた自分を恥じた。
「そんなことをして目立とうっていうのは反則だよな。うん、絶対にそうだ」
 ところがあと数人でKの順番になるというとき、一人の女子受験生がそれをやってしまった。それを見たKは、一気にやる気を失った。わざと抑揚をつけずに、淡々と自分の朗読を終えた。
「かまうもんか。どうせ最後には合格するんだ」
 もう、なかばヤケになっていた。

 昼休み、Kは鉛筆を貸してくれた受験生と再会した。Kたちは一緒に昼食をとることに決め、その受験生に付き添って来ているという姉と落ち合った。
「へえ、もう友だちができたんだ。あなたはどこから?」
「仙台です」
「センダイ? 近いじゃない!」
 Kたち二人は顔を見合わせ、それから声をそろえて言った。
「お姉さん、それは鹿児島県の川内《せんだい》でしょう?」
 昼食を終えると、Kたちは笑顔で別れた。午後にはグループ面接が行われ、入学試験は終った。

 一月三十一日、Kは推薦入試の結果の通知を受け取った。
「あなたは共通一次試験ならびに二次試験を免除されないことになりました」というもって回った言い方だったが、要するに不合格だった。
 ところがKはといえば、いっこうに平気だった。
「まだ一般入試がある」
 しかしKは、ここ一年以上大学入試のための勉強というものをしていなかった。共通一次試験でも、半分も点のとれない科目がごろごろあった。
 Kの自信の根拠は、ただ「自分は他の誰よりも小学校の教員になりたいと思っている。だから宮城教育大学は自分をとるはずだ」というものだった。それはまるで「ぼくは世界の誰よりも君を愛している。だから君もぼくを好きになるべきだ」というのと同じ、ただの一方的な勘違いに過ぎなかったのだが。
 二次試験は、三月四日に行われた。
 宮城教育大学の二次試験には、気前よく七つもメニューが用意されていた。小学校教員養成課程の志望者は、どれでも自分の好きなものを選んで受けてよいという。Kは、国語と英語を合わせたような、「人文系」という、小論文スタイルの試験を選んで受験した。こんどは鉛筆を忘れなかった。
 その第一問は、若者のマナーの悪さを指摘する新聞のコラムが題材だった。これを六百字以内で批判せよという。
「面白い問題出すなあ」
 Kはうれしくなった。
 この大学が、少しずつ好きになりつつあった。張り切って原稿を書き上げると、試験時間はまだ半分近くも残っていた。
 合格発表は三月二十日。
 宮城教育大学は、この勘違い高校生を本当に合格させてしまった。

教育の冒険

*以上は2013年に電子書籍で発行された『教育の冒険 林竹二と宮城教育大学の一九七〇年代』のプロローグ部分です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00C3ME856
 紙版の書籍は2003年に、同タイトルで(有)本の森より刊行されました。