21世紀の林竹二(続)

 昨年9月に「21世紀の林竹二(はやし たけじ)」という文章をアップした。
http://md-sendai.com/sendado/?p=497

 すると、ご研究を紹介させていただいた松本匡平さんが、これを読んでメールをくださった。うれしい限りである。
 お勤め先をネットで検索してみると、関西でも有数の進学校である中高一貫校で国語を教えておられるとのこと。林竹二の仕事が様々な形で受け継がれていることを知って、とても気持ちが明るくなった。

 先月、研究者インタビューの仕事で哲学の先生と社会学の先生を取材した。ネットでその下調べをしているうちに、川本隆史先生のお名前が何度か出てきた。「正義論」で知られるロールズの訳者としても有名な、日本の代表的な哲学者のお一人だ。
 この先生から私は、2003年に『教育の冒険 林竹二と宮城教育大学の1970年代』を出した時、メールをいただいたのである。たいへん高く評価していただき恐縮した。当時はまったく存じあげなかったが、慌てて感謝の返信を差し上げた。
 その時は東北大学にいらしたが、その後東京大学に移り、定年で退官なさった現在は国際基督教大学で教えておられる。

 東京大学では、たとえば2014年に教育学部で講じた「基礎教育概論」で、林竹二を取り上げておられた。
 シラバスの「授業の目的・概要」にはこうあった。

「西洋の教育の制度と思想を支えてきた複数の理念(理性、労働、自由、平等など)を社会倫理学および社会思想史の視座から点検していきたい。その助走路として、プラトン研究に出発し、歴史と現代に向き合いながら《教育の根底にあるもの》を探究し続けた人物、林竹二 (1906~85)の軌跡をたどることにする。」

 どんな授業なのか、残念ながら私の読解力ではほとんど分からないが、何となくうれしい(笑)。授業計画によれば、第2回のテーマは「哲学者・林竹二の冒険」。この回だけでもお話を聞いてみたかった。

 川本隆史先生は2006年に法務省の「法教育推進協議会」でお話をなさったそうで、その時のレジュメがネットに残っている。
https://www.moj.go.jp/content/000004283.pdf

 最後の「関連文献」一覧を見ると、先生が「月刊国語教育」(東京法令出版)という雑誌に、私の本を紹介してくださったらしいことが分かる。探して読もうとまでは思わないが、本当にありがたいことだ。

 どうせ私には分からないだろうと思って、川本隆史先生のお書きになったものは読んでいなかった。しかしこの機会に仙台市図書館で1冊借りてみた。
『共生から 双書・哲学塾』(2008年/岩波書店)
https://www.iwanami.co.jp/book/b260024.html

 一般市民向けに話し言葉で書かれているので、頑張って通読した。あくまで分からないなりにだが、面白く読むことができた。イメージだけで安易に語られがちな「共生」という言葉に、真摯に向き合う姿が感動的だ。生意気を言ってすみません(笑)。

 さて本家本元のわが母校、宮城教育大学はどうだろうと、久しぶりに公式サイトのページをめくってみた。すると現在の村松隆学長が、就任なさった2018年以来、入学式と学位記授与式で欠かさず林竹二を紹介してこられたことが分かった。
 そして何とこの2年間は、入学式の告示の中で私の本を紹介しておられたので腰を抜かした。
http://www.miyakyo-u.ac.jp/about/outline/message/ct47.html
http://www.miyakyo-u.ac.jp/about/outline/message/ct43.html

 今の1年生と2年生は、入学式で学長から私の名前を聞いている!
 「本学卒業生・大泉浩一君の著書「教育の冒険」」と述べておられるのだが、ありがたいだとか恐縮だとかを超えて、なぜか申し訳ない気持ちで一杯だ。

 私も60歳を過ぎた。残された人生を、自分なりに精一杯生きようと思う今日この頃である。

仙台スタジアムのロックンローラー

初出『Country Road 2003』

ベガルタ仙台・市民講演会(2004.1.24発行)

「プロのサッカー選手だった」
 っていう親父の話を、俺は小学校4年の夏休み明けまで信じていた。
 ホラだってことが分かったのは、同じクラスのマサが「休み中に調べたけど、お前の父ちゃんはプロのサッカー選手なんかじゃなかったぞ」って言ったのがきっかけだった。
「人の親父のことを夏休みの自由研究にするんじゃねえ」
 俺はそう言ってから殴ったと思うんだが、教室にいた他の奴らによれば、俺は何も言わずにいきなり殴ったらしい。まあどっちが正しいかなんてことはどうでもいい。とにかく俺はマサの顔を正面からぶん殴り、マサはぶっ飛んで、教室のどこかの角にぶつかってノビちまった。頭から血を流して。
 もちろん大騒ぎだ。
 学校に呼び出された親父に訳を話すと、親父の顔がみるみる青くなった。俺は目の前で人間の顔の色があんなに変わるのを初めて見たぞ。びっくりしたなー。親父はしばらく下を向いていたが、「それは、マサくんが、正しい…」と言ったっきり頭を抱えちまった。俺は呆然とした。おいおい、何てこったい。
 俺は学校から親父とお袋と、ついでに校長と一緒に、マサが入院した病院へ向かった。担任はマサに付き添って先に行っていた。
 幸いマサの怪我は大したことはなかった。いや、3針縫ったんだから大したことはあったんだが、出血がハデだったわりには傷は小さくて、レントゲンや脳波検査の結果も問題なかっていうことだ。さすがに俺もほっとしたが、この先のこと、つまり居並ぶ大人たちからさんざん絞られて、あの運動オンチのマサに謝ったり挙げ句の果てに握手させられたり仲直りの約束をさせられたりするのかと思うと激しくゲンナリした。
 だけどここからがドラマだったのよ。
 ベッドの上の、頭に包帯をぐるぐるに巻いたマサがうるうるになって、そして突然大声で泣き出したもんだから俺たちはびっくりした。泣きじゃくりながら、マサはでっかい声で繰り返した。「違うんだ、僕が悪いんだ」って。
 なだめて話を聞いてみると、マサは運動オンチのくせにサッカーオタクだった。俺が他の友達に「父ちゃんはプロのサッカー選手だった」って自慢してるのを聞いて、ワクワクして調べてみたらしい。ヒマな野郎だ。ところがいくら遡(さかのぼ)って調べてみても、俺と同じ名字のJリーガーなんていやしねえ。インターネットやら図書館やらで海外のクラブまで手を広げてみたが、結局見つからなかったって訳だ。
 奴は怒った。「同級生の父ちゃんがプロのサッカー選手だったと聞いて大喜びで調べてみたのに何だ!」っていうわけだ。俺に文句を言って、そして思いきり殴られた。
 だけど僕が勝手にやったことで、殴られたって仕方ない言い方をしたんだからって、マサの奴はそう言ってまた声を上げて泣いた。
 病室はシーンとして、みんなうなだれちまった。
 一番困っていたのは、もちろん俺の親父だった。しまいには大の大人のくせに、涙をボロボロ流してマサに謝ったんだ。こうして俺の親父はプロのサッカー選手じゃなくて、ただのバカだったことが明らかになった。そしてもちろんバカは遺伝する。どうしたわけか、つられて俺もその場でオイオイ泣いちまったんだ。全く恥ずかしい話さ。まあ、あの時はガキだったんだからしょうがないな。な、そうだろ。
 それにしても今になって思えば、小4まで親父の嘘を信じてたっていうのは、我ながらかなり思い込みの激しいタイプだな。サンタクロースの正体は保育所時代に見破っていたのによ。まあ親父も俺が小さい頃に何かのハズミで「サッカー選手だった」って言っちまって、それっきり引っ込みがつかなくなったんだろうけど、やっぱり信じ続けた俺の方もおかしい。
 ところでおかしなことに、あの日以来俺の親父とマサの親父は大の親友になっちまった。マサの親父もクレージーなベガルタのファンだったからだ。病院の廊下で話が盛り上がり、大きな声を出して看護師に注意された。
 マサのお袋さんは怒ったな。すげえ怒った。それは目の前で見てたから俺も覚えてる。マサの親父さんは少ししゅんとなったけど、またすぐに俺の親父と盛り上がってその晩飲みに行ったから、お袋さんから一週間口をきいてもらえなかったそうだ。
 そしてもちろん俺とマサも、それ以来親友になった。いや、悪友か? それとも腐れ縁か?
 あれからしばらくの間、俺はマサにサッカーを教えてやった。最初は驚きの連続だったな。だってマサは、思いきり蹴ってもボールが俺の半分も飛ばないんだぜ。まっすぐ前にも飛ばない。ヒョロヒョロのヨタヨタだ。
 だいたいフォームが変なんだよ。何であんな変な格好でボール蹴るんだよ。ボールに申し訳ないじゃないか。
 俺がキレてでかい声を出すと、何てったって前科一犯だからな、職員室の窓からハラハラして見てた先生がビューンって飛んで来る。
 俺が精一杯ニコニコして「何でもありません大丈夫です」って言ってるのに、マサの方はもう半泣きだからさ、先生は納得しない。目が完全に吊り上がっている。先生、あれはマサがボールをちゃんと蹴れなくて悔し泣きしてたんだってば。マサも自分でそう言ってるのに、ちっとも信用しないんだからなー。
 だけど今思い出しても、あの校庭はよかった。
 ほら、小学校の校庭って、今はほとんど芝生じゃん。昔はただの土だったんだよな。俺が子供の頃少しずつ芝生になってったんだけど、俺のいた小学校は早い方だったんだ。
 芝生って、寝転がっても裸足で走っても気持ちいいだろ。それがうれしくて、俺は小さい時から毎日のように小学校に行って、親父とボールを蹴っていた。そして小学校に入ると、毎朝門の前で学校が開くのを待って、ずーっとフットサルをやってた。
 校庭にはコートが6面とれた。クラスや地域の仲間で12のチームをつくり、毎日対戦してはその結果を学校の掲示板に書き出してたよ。「1部リーグ」と「2部リーグ」があって、その間を上がったり下がったりするんだ。女子だけのチームもあって、結構強かったな。あれは面白かった。
 マサも俺たちのチームに入れて、ときどきは出番をつくってやった。だけどあいつはやっぱり審判をやったり記録をつけてる方が楽しそうだったな。それからマネージメントっていうか、連絡とか調整とかもあいつに任せておくと安心だった。
 マサの頭には今でもあの時の傷跡が残ってて、その周りはすこーしハゲになっている。女と飲むたびに頭のハゲを見せて、子供の時に俺にやられたんだって自慢してるそうだ。実はあいつもバカだった。
 マサは大学に受かった。頭はいいからな。そして二十歳になるのを待って自分の会社をつくった。今はフットサルコートを中心にした小さいスポーツ施設を運営している。試合が終わった後、クラブハウスで自分たちのプレーのビデオを見ながらビールを飲んだりできるところが結構ウケているらしい。今じゃ学生ながらいっぱしの企業家っていうわけさ。

 俺の誕生日は、2001年の11月18日だ。
 その日親父は、京都の西京極総合運動公園にいた。伝説の、ベガルタが最終節で一度目のJ1昇格を決めた試合だ。
 お袋も熱狂的なサポーターで、ぎりぎりまで自分も京都に行く気でいたらしい。俺を生んですぐに親父の携帯に電話をし、その後俺に初乳をくれながら病院のテレビでベガルタを応援したというとんでもない女だ。試合終了の瞬間、あぶなく俺を病室の天井まで胴上げするところだったと、これは自分で言っていたから間違いない。
 親父とお袋は、当時大好きだったベガルタの選手の名前を俺につけた。だから昔っからのサポーターの中には、俺のことを「2代目」っていうアダ名で呼ぶ奴もいる。俺は別に気にしちゃあいないが。
 あとは俺のことを「ロック」って呼ぶサポーターも多いな。これは俺がインタビューで好きな音楽を聞かれると、必ず「ロック」って答えるからだ。
 俺はしゃべるのが苦手だから、マスコミの人たちは本当に困っちまうみたいだ。向うも商売だから「好きなアーティストは?」とか「お気に入りの曲は?」とか聞いてくるんだけど、俺はそれ以上答えない。「いや、その…」とか言ってにやにやしてると、そのうちほとんどの人は諦めてくれる。粘る人には「実はアーティストとか曲とか、名前覚えられないんっスよ」と笑って言うと許してくれる。
 本当を言えば俺だって、惚れてるミュージシャンや宝石みたいに思ってる曲はあるさ。だけど俺は、本当に大切なものはそう簡単に人に教えちゃいけないんじゃないかと思ってる。俺にとってはロックがそうなんだ。俺って、ちょっと古いかな。
 俺には、ガキの頃からなりたいものが二つあった。どっちも同じくらいに、絶対に強烈になりたかったものが。
 一つめはプロのサッカー選手。これはもちろんベガルタの選手じゃなくちゃいけない。何てったって両親に「他のチームは敵だ! 鬼だ! 悪魔だ!」って教えられて育ったんだ。他のチームのユニフォームを着ることなんてこれっぽっちも考えられなかった。
 俺は小学校入学前からベガルタのスクールに入って、ジュニアユース、ユースと進んでトップに上がった。今じゃベンチ入りの半分は俺みたいなユース出身だけど、昔はそうじゃなかったらしい。ベガルタの場合Jリーグが始まってからチームができたから、よそから実績のある選手が集まって来て、チームを育ててくれた時期が長かったそうだ。ベガルタが初めてユース出身の選手をよそにレンタルした時には、親父は感慨深そうだったな。
 俺は、小さい頃からとにかくよくベガルタの試合を見てた。時々はアウェイにも連れていってもらってたし、サテライトやユースもずいぶん見たな。
 自分がトップでプレーするようになった今、それはすごく生きてると思う。だから親父とお袋には感謝している。
 プレーする時、俺の体はフィールドにいるのに、アタマの中では自然にスタンドから見下ろす図が描けている。自分が次の瞬間どこにいて何をやらなくちゃいけないか、俺にはいつだって明々白々なんだ。
 前にテレビで将棋指しの人が、瞬間に何手も先まで何通りも読むって言ってたけど、あれ、よく分かるな。頭の中にいろんな動きのパターンがゴチャゴチャって入ってるんだけど、その瞬間、必要なやつだけがピーッて整列する感じ。俺はそのイメージの列の中を一直線に駆け抜けて、やるべきことをやるだけなんだ。
 ところが、俺自身の体がついて行けずに、やるべきことができない時がある。俺は自分に怒る。今この瞬間にやるべきことが、まるでイメージできないチームメートにも怒る。だから結構怒ってるな、試合中。
 だけど試合前、フィールドでの練習が始まる時には、俺はうれしくってゾクゾクする。サポーターの歓声が、ガンッて感じで俺にぶつかってくる。コールに応えて左手を上げる。そして、最初にボールを大きく蹴り上げた時に見る空。
 仙台スタジアムは俺にとって特別な場所だ。ピッチとスタンドがものすごく近いとか、声援が客席の屋根に反響してすごい迫力で聞こえるとか。そういうのも確かにある。だけど、何かそれだけじゃなくて、もともとあそこは俺たちにとって聖なる場所だっていう感じがするんだ。
 うまく説明できないけど——
 二万人で一つの神輿(みこし)を担ぐ祭りの、ど真ん中にいるような感じ。
 笛が鳴った瞬間、俺に何かが乗り移る。
 俺たち十一人は一匹の凶暴なケダモノと化して、一つの球を敵と奪い合う。あの快感。
 そして俺は、あんぐりと開いた敵の口にその球を放り込むんだ。
 俺が、そしてスタジアム全体が、シャウト! シャウト! シャウト!
 こうして俺は、ベガルタのプレイヤーになってガキの頃からの夢を叶えた。本当に幸せだ。
 だけどもう一つ、俺には絶対になりたいものがあった。
 それはベガルタのサポーターだ。
 そりゃまあ赤ん坊のときから仙台スタジアムには行ってたさ。だけどオトナだよ、あのカッコいいオトナのサポーターになりたかったんだ。
 この夢も、俺は絶対に叶える。
 引退した後もサッカーの世界で生きて行くことは、俺はとっくに諦めている。
 なんせしゃべるのがさっぱりだ。ダチや選手同士でしゃべる分にはまったく問題ないんだが、あらたまって何か言わなくちゃならないとなると頭の中が真っ白ケになっちまう。
 さっき、インタビューの話をしたけど、好きな音楽以外のことを聞かれても、俺の答えのほとんどは「はい」か「いえ」。もしくは単語1個だ。いや、たまに2個のことがあるな。「次、決めます」とかな。これじゃ解説とかそういうのはダメだろう? ダイジョブ? あ、そ、やっぱりダメ。
 指導者もムリだな。小学生相手のサッカースクールに引っ張り出されたことがあるけど、「頑張れ」「思い切って行け」「死ぬ気で行け」しか言えなかったもんな。
 何歳までプレーできるか分からないけど、俺の第二の人生は普通のサラリーマンがいい。マサは「その頃には俺の会社が大きくなってるから雇ってやるよ」って言っているが、あいつから給料もらうのは、ちょっと、なー。
 とにかく俺が次に就くのは、ベガルタの試合がある日に絶対に休める仕事だ。もちろんアウェイもだ。そんな都合のいい仕事があるのかよく分からないけど、親父をはじめ試合の時には必ずスタジアムにいるサポーターを見てると、どうにかなるんじゃないかって思える。
 少し年をとった俺は、スタンドで一番でかい声を出して歌う。そして気合いの足りねえ選手がいたら、思いっきりヤジる。
 もちろんその頃には結婚していて、女房子供も一緒だ。そうして俺は、子供に言ってやるつもりさ。「俺はプロのサッカー選手だったんだぞ」ってな。
 ついでに「実はじいちゃんもそうだったんだぞ」って言うことにしよう。子供が「本当?」て聞いたら、親父はたぶん「本当だ」って答えるな。バカだから。ああ、その日が来るのが今から楽しみだ。
 そう言えば、こないだサッカー協会の偉い人と二人っきりになった時、ヘンなこと言われたな。「学生時代、君のお父さんとは合宿で一緒になったことがある。未来をショクボウされていたが…」って。
 俺は黙っていた。なぜなら、もちろん「ショクボウ」という言葉の意味が分からなかったからだ。「食堂」の聞き間違いじゃねえよな、意味通じないし、とか思っていた。
 仕方ないから俺は次の言葉を待ってたけど、偉い人も俺の返事を待っていた。あれは気まずかった。
 あの時は部屋に他の人が入って来て「助かった」と思ったけど、あれはいったい何だったんだろうな。親父もプロじゃないけどサッカーやってたってことなのかな。
 部屋に帰ったらショクボウの意味を調べようと思ったんだけど、これがつい忘れちゃうんだよな。って言うか、本当は高校出る時捨てちゃったから、俺の部屋に辞書がないのが悪いんだ。
 本屋に行くヒマないし、だいたい言葉一個調べるのに辞書買うのも馬鹿みたいだ。コンビニに売ってりゃ買うんだけどなー。
 と言うわけで、この件はいまだに謎のままだ。何だよ、そんなに呆れるなよ。いや、調べる、調べるって、そのうち。そして親父にちゃんと聞いてみるからさ。そうだ、マサに電話で聞いてみよう。

 今は毎年優勝争いに絡んでいるベガルタだけど、2部から始めてJ1に上がった後も、一度はJ2に落ちたことがあるそうだ。俺は小さかったから、よく覚えていない。
 だけどベガルタには、それで応援をやめちまうような腰抜けのサポーターはいなかった。
 むしろみんな腰を入れ直した。
 それでも「あの時は、いろんなことがグラグラと揺らいで本当に苦しかった」と、親父とお袋がしゃべっているのを聞いたことがある。
 そう言えば俺が小さい時、親父とお袋がよく「戦術ダマシイ!」と叫んで喝を入れ合っていたけど、考えてみれば、あれはちょうどベガルタがJ2にいた時だったようだ。「戦術魂」というのがどういう意味なのか、俺にはよく分からない。だけどサポーターが試合に向けて根性を据える時の掛け声らしい。親父とお袋に意味を聞いてみたこともあったけど、二人とも「大きくなったら教えてやる」と言い続けてそれっきり、いまだに教えてくれない。あるいはただ忘れているだけかもしれないが。
 まあいいさ。さっきも言ったけど、誰にだって大切なものはあって、それは簡単に人に教えていいもんじゃないもんな。
 そんなJ2の時代も耐え、長い時間をかけて、ベガルタは少しずつ強いチームになって行った。
 そして今年、俺たちはJ1を制覇した。
 仙台スタジアムで優勝を決めた瞬間、俺は大声を上げて泣いちまった。小学校4年生のあの時以来だ。
 格別だな、リーグ王者になるっていうのは。
 俺は今年絶好調で得点王まで獲(と)っちまったけど、まったくサポーターのおかげだ。あの応援の!
 来年は、ちょっくら海外で出稼ぎもある。
 俺はゴールを決めて、きっとユニフォームを脱ぐ。みんな驚くだろうな。その下のシャツには、「ベガサポサイコー」って書いてあるんだから。
 さあ、いっちょうあの純金製のワールドカップトロフィーを日本に持って帰るとするか!

   *

ベガルタ仙台・市民講演会
「カントリーロード2003」販売開始のお知らせ
http://www.vegalta-sa.org/04/cr2003.htm

ベガルタ仙台
1994年 ブランメル仙台
1999年 Jリーグ2部参入
2002年〜 1部
2004年〜 2部
2010年〜 1部
2022年〜 2部

宮城球場と私

昨日発売された『Kappo 仙台闊歩』に原稿を書いた。

10年ぶりくらいの依頼だったので、メールが来た時には驚いた。

昭和の特集をするので、「宮城球場と私」という題で1000文字くらい書いてほしいとのこと。

書評、読み物、プロスポーツ関係のニュースなど、ずいぶんお仕事をいただいた雑誌だ。ありがたくお受けした。

掘り出した写真の中から、掲載されなかったものを1枚。

https://kappo.machico.mu/books/5526

21世紀の林竹二

 後期の授業が始まった。ワークショップ系の授業は特に楽しい(疲れるけど)。
 「絵本製作」の1回目で学生に書いてもらった感想に、「あまり今まで受けたことのない感じの授業だったので新鮮で面白かったです。」とあった。ありがたいことだ。
 「他の授業と違う」「変わった授業」という感想はよくもらう。
 大学の授業はいろいろだが、担当者が自分が大学で受けた授業を参考にすることが多いだろう。
 私もご多分に漏れない。宮城教育大学でワークショップ型の「変わった授業」をたくさん受けた経験が、今役に立っている。

 推薦入試で斎太郎節(さいたらぶし)を踊った(落ちた)。体育の授業に「山野歩走」という大学周辺の山を駆け巡る種目があった。3・4年生で選んだゼミは午後3時から9時まで続く「終バス演習」だった。
 大学は楽しかった。自分が担当する授業でも、ぜひ学生に楽しんでもらいたいと思っている。

 自分の経験を含むエピソードを集めて『教育の冒険 林竹二(はやし たけじ)と宮城教育大学の1970年代』という本を書いた。出版した2003年と、10年後の2013年の2回、大学の同窓会総会に呼ばれて講演をした。恩師や、学校の管理職となった同窓生たちの集まりで、講師の自分はフリーライター。場違い感に溢れていた。

 改革に熱心だった大学と、その礎を築いた学長・林竹二のことを、一般の人に知ってもらいたくて本を書いた。しかし時代は変わる。広く共感を得ることも、後世に伝えることも難しいだろうと、実は思っていた。
 ところが最近ネットで林竹二を検索してみて、その後もちゃんと注目されていることを知った。

◇「林竹二の学問観 と宮教大の教員養成教育改革」遠藤 孝夫
『弘前大学教育学部紀要』第95号 :13-124(2006年3月)
https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2297&item_no=1&page_id=13&block_id=21

◇大谷大学 教員エッセイ きょうのことば [2011年04月]
「学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである。」
 林 竹二(『学ぶということ』国土社 95頁)
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000001d7vo.html

◇京都大学大学院 修士論文「林竹二の授業論の検討」松本匡平
『教育方法の探求』 (2016), 19: 31-38
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/226083/1/hte_019_31.pdf

◇科学研究費助成事業
「林竹二の授業実践に関する研究-実践記録、資料に基づいて-」(2019年)
研究代表者:松本 匡平 ヴィアトール学園洛星中学校高等学校, 教諭
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19H00047/
研究成果報告書
https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-19H00047/19H00047_2019_seika.pdf

 最後のものは「教育学者林竹二(1906-1985)が残した膨大な授業実践記録とそれに付随する資料を画像として総計12万枚以上をデータ化した」(研究成果の概要)という、すさまじい研究だ。林の遺族から宮城教育大学に提供されて保存されていた紙の資料を全てスキャンしたそうで、大学のスタッフに加えて「のべ21名の大学生に助力を頂いた」とのこと。
 21世紀も、林竹二の仕事が忘れ去られることはなさそうだ。私はそのことを、ひそかに喜んでいる。

大学生のための文章講座 02

現代社会学科1年前期「現代文章表現」まとめ《後半》

「何を書くか」の次は「どう書くか」です。
「どう書くか」、つまり表現については、とにかく「読みやすく分かりやすく」書きましょうと、繰り返し言ってきました。
それでは、どう書けば「読みやすく」なるのか。これもたくさんありますが、まずは3つ、でしたね。

①文を短く
②「です・ます」と「だ・である」を混ぜない
③書き言葉で

①は「短ければ短いほど良い」とまでは言えませんし、「何文字まで」とも言えません。しかしとにかく皆さんの書く文には、長くて読みにくいものが多いのです。指定が200字だと、一つの文になってしまう人までいます。もちろん、表現の技術としての長い文はあり得ます。しかし皆さんの場合、自分でもよく分かっていないことや、整理がついていないことを書いたために長くなってしまったという場合がほとんどです。まずは内容を整理して、文を短く刻みましょう。

②文末を「です・ます」などで終えるのが敬体、「だ・である」などで終えるのが常体ですね。指定されない限りどちらを使っても良いのですが、この授業では必ず統一してください。これも表現の技術として混ぜることがあり得ます。しかし皆さんの書く文章では、何となく混ぜてしまったために、読みにくくなっているものがほとんどです。作文の苦手な人は、敬体と常体のうち、そのたびごとに自分が書きやすい方の文末で書いてしまいがちです。書く方は楽ですが、読む方は読みにくいのです。作文の苦手な人には、どちらかと言えば敬体をお勧めします。話す表現に近いので、書きやすいと思います。

③は「書き言葉で」です。「話し言葉」は変化が速く「書き言葉」は変化が遅いという特徴があります。皆さんが書く文章を読む人は、同世代ではなく70歳代かもしれません。昔からある言葉や、社会に定着している言葉を使った方が、幅広い年代の読み手に伝わる可能性が高くなります。まずは、いわゆる若者言葉や流行語を避けてください。確かに最近は新聞でも、「ため口」などが説明なしに使われることがあります。便利だし言い換えが難しいのですが、頑張って表現を工夫してください。また流行語は、定着する可能性より消え去って意味不明になる可能性の方が高いので危険です。二つ目は「ら抜き言葉」を使わないことです。「ら抜き言葉」は会話では定着しつつありますし、文法的に間違っていると言うこともできません。しかしまだ、大学のレポート、就活の作文、ビジネス文書など、正規の文章では違和感を覚える人が多数派です。「来れる」「食べれる」ではなく「来られる」「食べられる」と書いてください。三つ目は敬語と人の呼び方です。私の「お母さん」ではなく「母」、バイト先の「おばちゃん」ではなく「女性従業員」、ボランティア活動で出会った「おじいさん」ではなく「高齢男性」、などです。会話の記述など、それぞれ前者が許容される場合はあります。しかし基本的には後者を心がけてください。

「読みやすく」については、まずは以上の3つを守りましょう。

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次は「分かりやすく」です。
どう書けば読み手は「わかる」のかを、この言葉に即して説明します。

まず目指すべきは「解る」です。分解の解という字を書いて「わかる」と読みますね。
相手が初めて触れる情報は、伝えるべき内容を整理し、相手が知っているレベルの情報にまで分解し、それを組み立てて伝える必要があります。

「語彙」という漢字を知らない人に、電話で解ってもらう場合を考えてみます。
「語」は「国語の語、語るの語」で分かってもらえるでしょう。しかしあえてパーツに分解すれば、へんとつくりになります。「ごんべん+われ」で伝わらなくても、「左は言う、という漢字で、右は漢数字の五の下に口」と言えば間違いありません。
しかし「彙」は強敵です。真ん中の「ワかんむり」と下の「結果の果、果実の果」は大丈夫でしょうが、一番上はおそらく相手が見たこともないパーツです。これは「お互いの互という漢字から、上の横棒を取ったもの」と伝えるしかありません。電話の向こうの相手が実際に書いてみて、理解してくれることを祈りましょう。
伝えたい内容を、一度分解して組み立てて見せるように説明すると、「解りやすい」と思ってもらえるはずです。

次は「分かる」。私は基本的に、この表記を使っています。
分かるとは、分けられる、つまり区別がつく、ということです。
相手が「解る」ようにと、その内容をいろいろ言い換えてみることは、もちろん有効です。辞書の説明がそうですね。
しかし「今まではこうでしたが、これからはこうです」とか、「日本ではこうですが、その国ではこうです」のように、対比させて説明した方が伝わることが多いのです。
くどくどと説明を連ねるより、同じ字数を使うなら、「AでもBでもなくて、Cなのです」という説明の仕方を試みましょう。

最後が「納得」です。
私たちが本当に「わかった」と思うのは、「なるほど」と感じたときです。
日本語には「腑に落ちる」「胸に落ちる」「腹に落ちる」という良い表現があります。最近の言葉で言えば「ハラオチ」ですが、作文では使わないでくださいね。「説明がのみこめない」「その条件ならのめる」という表現もあります。つまり人間は、実は頭ではなく体で「わかる」のです。
コミュニケーションを目的とする文章のゴールは、読み手に「解ってもらう」ことでも「分かってもらう」ことでもありません。「納得してもらう」ことなのです。
そうした文章を書くには、自分自身が文章を読んで納得した経験が手がかりになります。どのように説明してあるのかをしっかりと理解し(解る)、他の説明の仕方と区別し比較した上で(分かる)、その文章に学びましょう。
「どうすれば良い文章が書けるようになりますか」という質問に対する私の答えは決まっています。「良い文章を、できるだけたくさん、気をつけて読んでください」です。

「分かりやすく」の説明は以上です。

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14回のうち前半7回のテーマは「コミュニケーション能力としての文章力」でした。後半の7回は、これに「考える力としての文章力」が加わりました。

私たちは普段、ものを考えていません。ほぼ習慣や欲求に従って体を動かしています。それで済みますし、頭の省エネになるからです。
しかし文章を書くときは、考えないわけにはいきません。ラインに「りょ」とか「それな」と返すだけなら考えずに済みますが、単位がかかったレポートや記述式の試験の答案を書くときは、それでは済まないのです。

考えずに書くと、感じたことや思ったことをそのまま書いてしまいます。小学校で書いた読書感想文や遠足の思い出は、それで良かったのです。大学入試の小論文に、「高校では部活を頑張って、継続することと仲間と協力することの大切さを学びました。この経験を生かして大学でも勉強を頑張ります」と書いた人もいるでしょう。それで通ったのですから、それで良かったのです。
しかし大学の授業では、これでは通用しません。文章の途中には感じたことや思ったことを書いても良いのですが、まとめには必ず「自分の頭で考えたこと」を書かなければならないのです。

第8回ではその実例として、大学の先生が「経験に基づいて考えたこと」を書いた文章を読んでもらって、それを要約してもらいました。
そして第9回からは、毎回「経験に基づいて考えを書く」練習をしてもらいました。
自分の経験を書かずに済ませたり、感じたことや思ったことをまとめに書いた作文をたくさん読みました。この授業では出来不出来で点数はつけませんが、毎回赤ペンで指摘しました。その結果、ほとんどの人が考えることの大切さを理解し、文章力が向上したはずです。

あなたが感じたり思ったりすることは、もちろん悪くありません。感受性が豊かであることや、自分はこう思うと主張することは、とても素晴らしいことです。しかし読み手の納得を求めて作文を書かなければならない時、自分の感覚や思いを押し付けて済まそうとするのは、ただの独りよがりです。
「自分の考え」は、自分とは違う立場や考えの人が読むことを想定し、その人の反論や違和感に対する答えを含む必要があります。そのためには自分の感覚や思いを客観視し、自分の考えを相対化した上で、文章にする技術を身につけなれければならないのです。

大学生はレポートや記述式の答案で、「事実に基づいて意見を書く」必要があります。これは社会人になっても変わりません。
そのための練習として、この授業では少ない文字数と短い時間で、「経験に基づいて考えを書く」練習を繰り返してもらいました。
基本は身についたはずです。
他の授業や後期以降の授業で、やがては就活や仕事で、その技術が皆さんの役に立つことを願っています。

以上でまとめを終わります。
お疲れさまでした。